一番最初に勢いでハサミで坊主にしてから、すぐバリカンと安いカツラを手に入れ、カツラは今後被らない、意味不明であると自覚してから、外出時は帽子生活をしていくことに決めた私。
バリカンでこのような坊主になった。新しい自分↓
髪の悩みから解放されてサッパリした。
一緒に暮らす家族の理解はクリアしたものの、坊主で外出し人々の視線を集めたいがためにこの頭にしたわけではないので、「自前の髪を剃ってカツラで暑い思いをする」という本末転倒は避けたものの、結局日常用の帽子を探すことになる。
坊主にして外出するには帽子が必需品になった。
坊主になって似合わなくなった帽子
4重苦の剛毛時代、髪のボリュームを抑えるために日々帽子は被っており、結構持っていたつもりだったが、坊主にして似合わなくなったものがある。
ハット系、ハンチング、キャップ系、麦わら帽等の、頭の下半身?がもモロに露出してしまうものだ。
ショートカットで下が刈り上げの人とは違い、頭頂部からも前方からもちっとも髪が出てくることはないので、いまいちしっくりこなくなってしまったのだ。
それでも、それらを被ってみることもあったけど、室内で被っていても大丈夫+外にも行ける+坊主も隠せる帽子となると、医療用帽子や室内帽子がやっぱり重宝するのだな、と色々帽子を見ていて思った。
どうせ坊主は坊主だ!
今まで持っていた帽子が似合いにくくなったけど、それ以外をチャレンジしていくぞ!と、最初は服装の邪魔をしないシンプルな黒のポリエステルの室内帽子を買った。
坊主隠しに室内帽子や医療用帽子が重宝
イオンなどでもよく見ると売られているんだけど、医療用や室内用帽子に使えそうなコーナーにある1000円~2000円台のもの。
多分定番の形で、イメージとしてはおばあさんが被っているのを見たことがあるような、って感じの飾りの少ない帽子です。
これ。↓
これを被って、その後コロナ渦に突入するとは知らず、当時は堂々と外出していました。近所の買い物以外にも量販店や繁華街にも行ったし、食事もしに行ったし、小学校の授業参観にも行きました。
秋が深くなると同じシンプルでも生地が綿混で織が少しニュアンスのある室内帽子も購入し、このまま外出していました。今思えばちょっときつめに見えていたと思うけど、この頃は黒をメインに使っていた。
坊主にして初めて他人に会った時の反応 友達や知り合いの場合
坊主丸出しにして行ったわけでなく、その頃は上記のような室内帽子を被っていました。
最初に授業参観に行った時、仲の良い友達に「坊主にしたんだ」って言ったら、最初は「えッ?!何で?」って驚いていたけど、私が「病気でもなんでもないけどしたくなって坊主にした」と笑いながら言ったら、気を遣ってフォローしてくれたのを憶えてる。
私の横顔を見ながら「あ、でも○○ちゃん坊主似合うね」って。その人とは今も友達です。
私がこの約4年間坊主だったり、いろんな帽子被ったり、伸ばそうとしてみたりまた剃ったりって感じで、ずーっといたけれど、別にそんなことは気にならなかったか、諦めてくれていたか、今も普通に友達です。
でも、その友達と同じ時に横にいた別の友達は、明らかに顔が引きつっていて、かなり驚いた様子だった。私が表情から勝手に読んだ気持ちは「あり得ない!なんて言っていいかわからない!」でした。会ったら挨拶するけれど、今はほとんど接点がないです。
病気でもなんでもないのに「好きで坊主にしている」、と言った後の一般の人の気持ちとしては、ほとんどの反応は後者なんだろうなっていうのは未だに実感します。
うちの夫以外の男性の反応はヤバいです。結局似たもの夫婦なのかもしれないが、夫は似合うねって感じだったけど、他の男性なんかは相当ドン引きしていました。
この間も随分会っていない高校の頃の部活のグループと連絡を取り合う機会があった際に、今坊主だってカミングアウトしたら、女性陣はお世辞なのか割合好意的だったけど、男性陣は強烈すぎて無理!って感じだったから。ああやっぱりなって。
女性も気を遣ってくれているだけで裏ではひそひそしているかもしれませんが。
それでも別に私は全く構わない。この頭が楽だし好きだし似合っていると思っているから。
人がどう思っていようが全然構わない。驚かしてごめんね、とは思うが。
女性で坊主にすると周囲の大人にどう思われるか
「髪は女の命」なんて言葉もあるように、世間にとっての女性の髪っていうのはそれくらい大事なもののようである。
私には憎い悩ましい存在であった4重苦の髪の毛も、それはあなたの命でしょうっていうくらい大切だと言われているのだ。
女性で坊主にするなんていうのは亡くなった瀬戸内寂聴さんみたいに出家であるとか、そういう方が家を出る覚悟でやるようなもので、パンクスでもない別に若くないおばさんの私がやる意味がわからないということだろう。
ああ全くわからないよ。私は命を失ったらしい。まあ、大した髪質でない場合、その言葉自体にどれだけの色々な含みがあるのだろうか?とは思うのだが。
世間の言う女としての命は失ったのかもしれないが、私は別に大丈夫だぞ。
自分の意思で坊主にしたと説明しなかった人たちの反応としては、大人の場合はまず大体が「病気」や「ガン」、「円形脱毛症等の頭髪の病」って感じだったんじゃないかな。
特にこのシンプルな室内帽子を被っていると、大体は「病気、おそらくガン」って感じで思われていたようです。知り合いに2人はいました。事情を知っている友達の友達が私のことをそう思っていたらしいと後から聞いたりして。
でも、私も私が他人ならそう思うと思うので全く問題ない。
そう思われていても構わないのだけど、訊かれた人には「病気じゃないの、おかしいのは髪型含む頭、これをやっても平気な私の精神っていう意味ではある意味病気と同じだけど」って笑って言ったりしていた。
「病気じゃなかったんだ、でもなんで坊主までしたんだ、変わってるなあ」、って感じだったかもしれない。ゴメンどう思ってもいい、私について色々諦めてくれ!って私は自分をネタに笑いながら思う。
買い物に出かけてすれ違う人の多くが、私を「この人は病気なんだろうな、頑張って」って思ったかは知らないが、もしそうだとしても私はそれでいい。
良くないのは、何もしていないのにまるで騙しているみたいで、心で応援してくれた人ごめんなさい!と思ったりするところだろうか。
しかし、どうであろうと「私は私」気にしないスタンスで今も暮らしている。
汗のこともそれくらい気にしないでいられればいいのだが、こちらは体が不快になるのも相まって、そうはいかないらしい。難しいもんだよ、自分の心ってやつは。
誰かに何か思われるとしてちょっと嫌なのは、変な宗教に入ったのか?って勘ぐられるかもしれないこと。
「僧の方ですか?」「そうです」なんていうベタなジョークをかましたくもなるが、誰も訊いてこないのはなぜだ。
どうせならはっきり聞いてくれたらいいのに。訊けるわけないか?誘われたらめんどくさいのは大人が一番よく知っているからね。
誰も訊いてはこないが、病気じゃないと知った人の中にはもしかしてこいつ怪しい新興宗教に入信してないか?みたいな疑念が生まれていてもおかしくないとは思っている。考えすぎかとは思うが。
なぜそんな帽子で逆に不自由になるようなことをするのか?と思われた先に、そういう気持ちが生まれるのは自然なことでもあるような気がする。
が、別に。
とある女優さんの昔の騒動ではないですが、これも私にとっては「別に」、なのであります。
私は変な宗教に入信したわけではありません。実家は父方が南無妙法蓮華経と母方が南無阿弥陀仏で、いたって普通の日本の家庭によくある感じのとりあえずお墓はここでお寺さんは自然にここだった、みたいな感じなんだもん。
怪しい宗教とかそういうのじゃないんだもの。友達を勧誘したこともこの約4年は1度もないのは付き合ってくれていた友達だけが知っていることです。
でもまあ、万が一そう思われていても違うものは違うので、これも私にとっては別にどうってことないことです。
親きょうだいの反応
最初にカミングアウトした時は確か母に電話でだったと思う。
母は昔からショートカット派で、女女した感じよりはさわやかさっぱりしている女性をステキだと思うタイプ。
別に女々しく生きていたわけでもないのだが、重さがないと髪が湿気でますますぼわっとなるためにロングにしていた私の雰囲気はそんなに好きではなかったと思う。私の場合はショートは似合わないと自分で思い込んでいたのもある。
ある時思い切ってショートにした時は、それいいね!ってわかりやすく反応が良かったのを走馬灯のように思い出す。
なぜ走馬灯なのか。命を失ったらしいからか。
そんなボーイッシュな感じが好きな母も、坊主にしたと言ったらこれまたわかりやすく「ええ?信じられない!何考えてんの、まったく!」みたいな困惑した反応だった。
何を言っても今更なことだし、電話口で戸惑いと不穏な感じはありながらも「伸ばしなさいよ」とは言わなかったし、その後も娘の人生だしと思ったのか、そこまでしょっちゅう会うわけでもないので気にならなかったか、知らないけれど、一度くらい「まだ短いままなの?」って聞かれたくらいで、それから一切何も言われていない。関係も変わりなく特に変化なし。
父も別に問い詰めるわけでもなく、関係は普通に今もいいままです。
しかし、納得がいきますか?
ショートカット、それもジーン・セバーグみたいなベリーショートがステキと思える女性が、なぜ坊主になった途端に、は?っていう反応になるのか。
そっちの方が私には意味が分からない。
私はジーン・セバーグより短く、ある意味彼女より短さでは勝っているのに!母は短さでステキだと思っていたわけではないのか?
はい、当たり前にそうでしょう。
大体ジーン・セバーグが坊主にしたら母はステキと思うのだろうが、こんな転がったいびつな芋みたいな私が坊主にしたところで芋は芋でしかないのだろう。うまく味をつけたら煮っころがし、食えるだけまだましっていうくらいのもんなんだろう。
じゃあ、私がジーン・セバーグのようなショートカットにしたらどうだったろう?
そう!この精神だけではない硬さず太さのために髪が頭皮に沿って寝ることがなくピーンと立ち上がったスポーツ刈りの女ができあがって、ねじり鉢巻きつけて「ヘイ!らっしゃい!」と寿司でも握り始めるかもしれない。
なんだ、私食い物屋だったのか?
よくわからない。わかるのは私はジーン・セバーグになれないってことだけである。
きょうだいには会った時に見せて、「えっ!」って言われたけど、「かっこいい!」って言われただけで、他には特に何もなかった。一緒に暮らしているわけでもないし、姉ちゃんは変わってるっていう認識が昔からあるからかもしれない。
私の普段会わない家族も私がジーン・セバーグになれないことにはまったく文句も言わず、この約4年坊主前坊主後で何か変わったか?といわれれば、特に何にも変わっていないので、私としては有り難かった。
根に持っているのはジーン・セバーグのことだけですかね。
子の友達の反応(小学生)
私は上記の黒のシンプルな室内帽子以外にも坊主が隙間から透けて見えるようなニットの帽子なんかも臆することなく被って学校へ行ったりもしていたが、さすが小学生!なんかいつも帽子だなくらいに思っていたのかどうかも知らないが、全然気にしていなかった!
娘が「うちのママって実は坊主なんだ」って教えるまで、知らなかったみたいだ。高学年なんですけどね。一緒に5人くらいで買い物にも付き合ったこともあったんですけどね。
子供だから私を見下す目線の子はいなかったわけで、気づかなかったのかもしれないし、そもそも人のお母さんをそんなにじろじろ見つめたり、勘ぐってみたりすることはないのかもしれない。
賢い子は「え?お母さん病気なの?」って訊いたらしいの、それをわかっていだけでもすごいなって思って感心したんだけど、娘が「病気じゃなくて、自らの意思で坊主にしたんだよ」って話したら男女ともに爆笑だったらしい。
さすが子供!!好きだ子供!!私なんて笑い飛ばしちゃっていいんだよ!
「初めて見た時笑った?」「ううん、泣いちゃって…。」その泣いたエピソードすら面白すぎて爆笑していたらしい。
娘が家でそれを話した時、このネタで皆笑ってくれるからいいなって、謎の味を占めていた。あら、やっぱり私、食い物屋だったのかもしれない。
いいよな、子供って。私はこういうので馬鹿にされた!とか、笑われて恥ずかしい!とかは全く思ってない。娘には私をネタにしてどんどん話してほしいって思っているくらいだし。
笑われたから髪を伸ばすなんていうのは私の選択肢には全くないことだから。
私を知っている子は「○○ちゃんのママってかっこいいね!」とか、「自分を持っているって感じがいい」って言ってくれる女子も存在した。ううう、嬉しかったよ。
女で坊主にした後の周囲の反応まとめ
病気ではなく自らの意思で坊主にしたんだというと、ほとんどの人は驚きドン引きするっていうのが結論です。
それでも日常直接関わることをしていなければ、全く問題なく生きていけます。
私の事はいくら裏で言われてても「別に」だけど、ご病気で髪の悩みがある方々のお気持ち考えると胸が苦しくなる時はあります。
一緒に仕事をしているとかでなくても、世間体や他人の視線なんかをすごく考えてしまう人には好きでも貫くことは難しい頭なのかもしれません。特に女性は。
じゃあ、坊主になったからおしゃれなんか興味なくなったのか?って言われたら、むしろ似合うものを見つけたり工夫するために前より見る目が変わったし、意欲は増したといっても過言ではありません。
髪もないのにおしゃれなんて意味ない、なんて思うこと自体がナンセンスでしょ。
坊主だって髪がなくたっておしゃれはできる!帽子も色々なタイプが売られているから似合うものを見つける楽しみもある。
別に特別なおしゃれではないし、相変わらず身の丈にあったプチプラで満足な私なんだけど。未知の領域のおしゃれっていうのも楽しいもんだよ!
随時書いていくつもりです。