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動画にハマっていたけど、InstagramもTikTokもあんまりやっても意味ないし、いいねは全くつかないのがわかった。

つまり需要はなく、良いとも思われていない、自己顕示欲の激しい人だなーって好奇の目で見られていたのだろう。

ならブログのみでいいやと思ったので、開いていても結局嫌な気持ちに変わってきたので非公開にしました。
それでもフォロワーはほとんどいないし全く問題ないと思われます。

需要ないのに頑張っても馬鹿馬鹿しいしね。
なんの参考にもならないのにアホみたいだなと思ったし、何頑張っちゃってんの?自分、って冷めた目が出てきた。

動画作りは初めてやったので楽しかったけど、チャレンジしてみてわかったことはあった。

Instagramで集客しようと思ったら、毎日あげたほうが良いのはわかったが、何かの講師をしてお金を稼ぎたいわけではないし、Instagramの投稿は今年4月あたりから以前と変わったらしく、最新の投稿が表示されなくなっていて、スマホからは人気の投稿しか上に表示されず、インフルエンサーなど既に人気のある人でないと投稿しても埋もれてしまい、ほとんど人目に触れることができなくなっているのもわかった。

ちょっとニッチなタグをつけるとか上位表示されたとしてもフォロワーやいいねは私の場合今後も増えないだろうと予測しました。

坊主の女性、丸刈りの女性のInstagramもタグでいつくか拝見しましたが、思ったことは、私もそうなのだけど病気などでなく好んで坊主にするということは、それだけ人とは違うことをする分、変わっていて意思が強い。
同じでありたくないという気持ちもあるのかもしれない。

馴れ合ったり横繋がりを求めることはないような、一本線をひいていないとできないことをしているわけだから、なんていうのかな、坊主女性で繋がりたい、みたいなことはおそらくなくて、孤独でもこれを選ぶ!みたいな突き抜けた感性があるのだろうと察する。

人からどう思われようがやる!って実際に坊主にした女性たちだ。私もそうだから思うに、この保守的な日本においてはかなり特殊で異質であることは間違いないだろう。

自分のことを引いて見てみると、他人からみたら笑顔でいてもどこか恐ろしいような、そんな見え方なのかもしれないと思った。

世の女性のほとんどは坊主に自らなりたいと思うことはない。真似したい対象にはならない、自分はしたくない、そう思う人がほとんどだろう。

強い意思に興味は持っても、瀬戸内寂聴さんクラスまで有名になれば別だろうが、坊主に憧れることがないので、よほどの特殊な美貌とか他に技能があるとかでないと、わざわざInstagramやTikTokでフォローしたいとは思わない人がほとんどだろうということだ。

坊主女性をフォローしてみた女性には逆に興味が湧いたけど、私の場合そんな方は稀であった。

むしろ、男性のほうが先にフォローしてくれたけど、私がわからないような世界がお好きな方だったのかもしれない。

そちらの世界がお好きな方はもっと恥じらいのある坊主がおそらく好みだろう。タブーを犯すようなものに興奮する場合、本当はなりたくないのに罰として丸刈りにされたような坊主の女性のほうが良さそうだ。

私はその手の性癖ではないので、そのような世界だろうものもチラとたまたま観てしまってうーんと思ってしまった。

男性の手によって無理やり丸刈りにされている女性と私とは全く違う。

SNSで見かけた自分の意思で坊主にした女性たちというのは、どこか世を突き放したかのような不思議な開放感に溢れている。

それは自分自身で選んでいるからで、その姿を掲示するだけのパワーは、誰とも手を繋がずとも生きていくのだと見せてくれるようで、自分もまたそのような同類の女性たちと交流するためのInstagramやTikTokではないのだと再認識した。

それは同族嫌悪ではなく、同族リスペクトのためだ。

同じ坊主女性同士でフォローしあうこともしない、一般的な女性は坊主をいいなとは思わない。それだけではない。

自分としてはこの4年の坊主隠しのための帽子のことが誰か悩んでいる人の役に立てたらと思ったところがあったのだが、本当に抗がん剤などで髪がなくなった方というのは、おそらく私のように坊主に帽子というスタイルは嫌で、本物のように見えるウィッグなどのほうが必要とされやすいだろうと感じたことも大きかった。

なので、私が遊びながら帽子をまじえて投稿しても、誰かの役に立てることも、いいねと思われることもフォロワーが増えたりすることも、ほとんどないのだろうとわかったのだ。

動画に一通り音声や効果音なども入れたり工夫できたのは新たな楽しさを見つけたけど、わざわざSNSに投稿しなくても良いだろうし、坊主帽子の専門家としてお客様を集めるわけでもないので、Instagram、TikTokで自分をネタに投稿するのはもういいかなと色々分析して考えた結果思えた。

唐突に思いつきでブログの宣伝にもなるかなと始めたけど、計画性もないのにうまくいく世界ではなかったし、同じように唐突に終わるものだ。

動画にハマったのもあっという間、見切りをつけるのもあっという間だった。

自分の根気のなさに呆れるけど、この経験は何か坊主以外で別にやりたいことができた時に活かすことができるかもしれない。やってみて良かったとは思っている。

やめたよーってことを、その理由を、いつものようにまとまりなくつらつら書いてしまったが、あの赤い服を着た丸刈りを最後に、このまま髪を伸ばそうと思っている。

坊主は私にとって本当に楽だったし書いてきたように後悔はなかったけれど、来年3月は卒業式、4月は入学式で、帽子を被って出席することももちろんできるんだけど、伸ばすこととどちらが良いか悩んでみた。

すると、これから外で働きたいなと思った時にも、坊主ではおそらく雇ってもらえないだろうと思った。いちいち説明するのもめんどくさいし。

ならば、今から髪を伸ばせば式にも間に合うかもしれないしちょうどいいやという感じで、気が変わらなければこのままどのように伸びて行くのか研究しながらいい塩梅になるまで待とうと思っている。

バリカンもあることだし、また突然何かでやっぱりやめた、となったら坊主に戻るかもしれないけど、今のところはこれまでと逆で伸ばすチャレンジを、この硬く太い剛毛故に伸ばすのは難儀で忍耐も半端なく必要なのだが、頑張ろうと思う。

もうこの坊主頭から伸ばしてしまったら、今後はショートカットのままになる可能性が高い。働けるなら尚更というか、当たり前にそうなるだろう。

またあの髪の毛との格闘の日々が始まり、続いていくことだろう。

いつか人生というものを振り返ることがあったなら、あの4年はどうかしていたなと思うのだろうか、まだ坊主なのだからこの先のことはわからない。

この頭を懐かしむ時が来るかもしれないことを思ってみても、どう何をしてみても、急に髪が伸びることだけはない。それは確かだ。

だから切ないけれど、あれが最初で最後の剃髪状態の丸刈りで、その時の気持ちを新鮮なうちに書くことができて良かったなと思っている。

これを書いている今も、心のどこかにまたあの状態までさっぱりしてしまいたい気持ちもあるのだが、せっかく1.7cm伸びているので、どうせ伸ばすならこの長さすらふいにしたくない。

髪伸ばし、頑張るぞ。